演奏家の著作から(1)
日本の著名な演奏家のほとんどが、手の大きさについてはなにか一家言あるようです。
今回は3名の著作から手の大きさについての記述を紹介します。私よりもずっと長くピアノに向き合ってきた方々の言です。敢えて自分の意見は書きません。
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中村紘子 著 「ピアニストだって冒険する」(2017年)p232より
ところで、話はガラリと変るが毎年浜松国際ピアノアカデミーには、十歳前後の小さな子供も少なからず参加する。
男の子の場合は今は手や指が小さくとも、成長したら十度ぐらいは届く大きさになるだろう、と先ずは心配しないけれど、
女の子の場合は必ずしもそうでないから悩んでしまう。高校、大学ぐらいの年齢になっても、オクターヴがやっとという女性は
少なからずいるからである。才能ある小さな女の子が、長じて果してピアニストになり得るだけの肉体的条件を備えられるだろうか。ボリショイ・バレエの学校では、入試の時に両親に面接し、その体型を見るというが、ピアノの場合はさすがにそこまでチェックする先生はいない。
私自身も手が小さいのでよく分るが、厳しく冷たい言い方となるけれど、十代の半ば頃でオクターヴがやっと、というような小さな手の人は、プロの演奏家を志すのは相当に無理なことだと思う。もちろんあのスペインの女流ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャも、かのクララ・ハスキルも手は小さかった、と反論される方はおられるに違いない。
しかし、この時代、若者はますます過激なまでに、超絶技巧を競い合う傾向となっている。その中で無名の女性の新人が男性に伍して世に出るのは、生やさしいことではない。
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園田高弘 著 「ピアニスト その人生」(2005年)p16 奏法のこと より
僕は最初、シロタ先生のように、手のひらを鍵盤に対して斜めに広げて弾いていた。なぜかというと、先生は手が大きくて、まっすぐに鍵盤に向けると指が鍵盤の奥のピアノの蓋にあたってしまうからで、子どもの僕は、そのように弾くものだと思い込んでいたのだ。シロタ先生はともかく身体も手も大きく、指は信じられないほどに太かった。
p29 井口先生と豊増先生 より
豊増先生の手は小さかった。「リストが一オクターブの幅を今のように決めたせいで我々は苦労している」と言って、小型のピアノを特注して使っていた。それほどに、ピアノの機能を駆使して演奏するための技法、ピアニズムへの興味が強かったのだと思う。
(小型のピアノ とは細幅鍵盤ピアノのことだと思われる)
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熊本マリ 著 「人生を幸福にしてくれるピアノの話」(2008年) 講談社 p146 欠点を自分の個性に より
少女の頃ピアノを習っていたという友人とおしゃべりすると、「手が小さかったからあきらめたの」と打ち明けられることが多い。
そこで私の手を差し出すと、みなさん、びっくりされる。
ほとんどの場合、彼女たちの手のほうが私より大きいのである。
「日本のピアニストのなかでもいちばん小さい手なのでは?」
そう疑問に思い続けているほど、私の手は小さく、指も短い。
(中略)
そのうち、手の小ささをハンディキャップとは思わなくなっていった。
身体のつくり、手のつくり、指の長さ、みなそれぞれ違うように、ピアノの弾き方にも自分流が存在することを、少し理解するようになったからだ。
ときには、小さい手がメリットになることもわかってきた。
細かく速い表現を求められるパッセージ(楽節)などを弾くときは、小さな手のほうが鍵盤の上を動きやすい。
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